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■中野島駅
時計台のあるこの中野島駅は、昭和61年に国鉄がJRと名称を変える少し前にできたものです。
中野島駅のそばにある新多摩川ハイムを建設したS建設会社が改築費を出資し、装いを新たにしたものだそうです。
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■中野島の歴史
室町時代の末期、登戸と菅の間にある現在の中野島地域は、多摩川の中にある島でありました。
この島はただの釣り場として登戸や生田の住民が、ます、あゆ、こいなどを釣りに訪れるだけでした。
このころの多摩川の流れは荒く、水流も多かったので、島はたびたび洪水にみまわれました。
天正末年、この島に初めて住み込んだのが、鎌倉の小林村の住民、万蔵という人で、ここから中野島の歴史が始まります。
流れに運ばれてきた土砂は思いのほか肥沃(ひよく)であり、井戸水も湧いて不足が無かったので、小屋が建ち田畑が開かれました。
天正18年(1590年)8月25日に多摩川に大洪水が起こりました。洪水ののち、多摩川の流れがまた変化して、
上菅生と布田の間にあったこの島が大きくなり、今までの2倍から3倍に膨れあがりました。この洪水で田畑が流された周辺の農民が、
新しくできたこの中の島へ移り住んできました。当時この島は「万蔵島」と呼ばれ、後にいまの中野島となりました。
慶長元年(1596年)古谷祐右衛門(ふるや−ゆううえもん)一族が中野島の開拓を始め、同2年に小泉次大夫(こいずみ−じだゆう)
が二ヶ領用水の工事に着手しました。14年後、二ヶ領用水は完成しました。
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■馬頭観音
馬供養から起こった、この観音石碑は、道の辻にあって旅人、馬、道を守る神となりました。
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久美乃屋酒店前の馬頭観音
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稲荷神社正面の道を行って左側
(情報提供者:HSさん)
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■庚申塔(こうしんとう)
人間の体内には3匹の虫が住んでいる。この虫は60日毎に体内から天に昇り、また戻る。それが庚申(かのえ・さる)の日と定まっていた。虫は人の善行を天の神に伝え、悪事が見られた場合、神は人に寿命短縮の罰を与えると言われていました。
この信仰の対象が庚申塔となりました。
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ゴルフセンター裏の庚申塔
(情報提供者:HSさん)
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庚申塔(公民館前)
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■永代融通念仏講碑
農民が集まって仏を礼拝し、念仏を唱える。どんな人でも阿弥陀さまが救ってくださる。永代に変わらず唱え通す、という強い信仰心がこの碑を建立したのであろうと言われています。
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永代融通念仏講碑(公民館前)
(情報提供者:根本さん)
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※このページの内容は、多摩区立図書館及び皆様からの情報により、掲載しています。
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